3月のライオンでほっこり。特別じゃなくても必要な存在。
「3月のライオン」を読みました。
史上5人目の中学生プロ棋士になった桐山零くんが、三日月焼を作る川本家の三姉妹をはじめとした優しい人達に囲まれて成長していく物語。
私の大好きなシーン。
川本家に二階堂くんを迎えに来たじいやが三日月焼を「これ好きなんです」と渡す。
受け取ったあかりさんが「私も好きです」と返す。
「このお菓子、実はうちで作ってるんです」ではなく、ただ「私も好きです」。
3月のライオンでは「自分は必要とされていない」と考えている零くんが、必要とされたいと願い、自分の居場所を見つけていく。
「必要とされたい」「関心を持ってほしい」という欲求はだれにでもあり、そのために自分が特別だったり相手のメリットになれるようなことを主張してしまうことありませんか?
でも特別なところがなくても、いてくれるだけ、一緒の気持ちを持ってくれるだけで、必要な大切な存在になるんだよなあ。やっぱり相手に共感する視点が持てるか、と前の記事に引き続き思わされました。