アメリカからみた東京オリンピック。「開催した」ことの価値。
オリンピックの開催期間中はアメリカにいて、ほとんど試合もみられず、開催国という実感も朧気・・・。
でも自国開催中に他国にいるという経験から感じたことが二つあります。
「国によって共通意識が異なる」、「やること自体に価値がある」。
1.国によって共通意識が異なる
アメリカ滞在数日で心に強く浮かんだこと。それは「オリンピックがアメリカ開催だったら絶対観客入れてるな」。
アメリカの雰囲気は以前ブログに書いた通り、コロナは気にしているけど安心感も見えました。
観客を入れた/入れない、どちらが正解というのではありません。オリンピックについてインタビューしたわけでもありません。ただ町行く一人ひとりの雰囲気に、たった数日の滞在でも「違う」という印象を強く受けたのです。
「国が違えば感じ方は違う」、言葉にしてしまえば当たり前ですが、各人の言葉に出てくる考えを超えて、共通的に漂う雰囲気レベルで異なるという実感を受けました。
2.やること自体に価値がある
アメリカにいって何人かから言われたのが「東京でオリンピックを開催してくれてありがとう」、「アスリートたちが成果を見せる場所を作ってくれてありがとう」。
開催には賛否両論がありました。でも開催した、その事実だけでも価値を認める人達がいました。
何かをやる前、私はネガティブな反応にひきずられてしまいがちですが、やってしまえば自分が予想しない価値を生むこともある。
消極的になってしまったときに思い出したいです。