社内公募に落ちました・・・もっと自分のために時間を使うぞ!
先日、社内公募に落選してしまいました。
募集条件が自分の職歴にかなりフィットしていたのに落とされたことで、ものすごーーーくがっかりして落ち込んでしまいました。
なぜそこまで落ち込んだのだろうか?
「がんばっているのに評価されていなかった・・・」
「睡眠時間や家族との時間や、いろいろと犠牲にしてきたのに私この会社に必要とされてるんだろうか?」
と。。。
で、気がついた。
ある一時点で会社から評価されることにこだわっていた自分に。
そのとき、その場所で、求められている成果は出してきた自負があります。でも長期的な自分の成長はあまりできていなかった・・・
評価を会社にゆだねていたからこんなに落ち込んだんだなーと。
「その場で求められていること」にきゅうきゅうとするだけでなく、少し視野を広くして、会社の評価で一喜一憂されないくらい自分に自信がもてるよう、もう少し自分の成長に時間を使っていきたいと思います。
お父さんに似ているところ
長女がいいました。
「わたしはお父さんに似てるんだよ。
たとえば、うそをつくところ、ひとをだますところ、あと頭がいいところ、きちんとしているところ、まじめなところ・・・」
三番目以下は許容できますが、トップ2が「うそをつく」「だます」って・・・
「だってお父さん、だますの上手なんだもん!わたしも真似していろんな人だましてるんだよ。すごいでしょ!」
子どもが尊敬する特性は、大人の考える長所とは少し違うようです。
味噌汁の具はサメ?
「ご飯全部食べないとデザートなしだよ」と声かけしたところ、次女から
キャリアのたな卸しが一年に一回は必要!
私は技術系採用ですが、これまでのキャリアはかなり異色。
マネジメント系のポジションが多く「事務系?」と周りからよく言われていました。だから自分のキャリアパスについてもこのままでいいのだろうかと不安を感じていました。
しかし、最近「これはこれでいいんだな」と思えるようになりました。きっかけは、社内公募への応募です。
応募書類を埋めるために自分の業務経歴を思い出し、たな卸しをしていくと、確かに普通の技術系のキャリアとは言えないけれど、そうではない自分の強みがあることに気がつきました。そして、自分が好きなのは純粋な技術系の仕事ではなく、図らずもこれまでやってきた仕事に近いんだな、とも。
結局、キャリアパスに対する不安も不満も、その7割くらいは周りの人の意見に影響を受けていただけなんですね。それが紙に書き出してみるとよくわかりました。周りの人は自分の価値観を根底にしてご意見くださるので、一番大事なのは、紙に書き出して、客観的な目で、自分で自分の将来を考えることです。
しかし、入社当時のこととか結構忘れている・・・
長期記憶は難しいものなので、一年に一度くらいは「自分が何をして」「どういう成果が得られたのか」をたな卸しし続けて行こうと思います。
丕緒の鳥 十二国記:国を作る民と王の責任は、この世界のどこかにも通じるのかも
待望の十二国記新刊。重たくて読むまでの心の準備に時間がかかりましたが、読み始めると止まらず、後から考えさせられました。
今回は民や官吏の話の短編集。違う国・状況を取り上げながらも、四編全てが、立ち位置の違う官吏がレイヤーの異なる考え方・視点を持ち、でもそれぞれが国を思っている中で、そういった民や官の一人ひとりの思いを受け止めることが王の役目であり責任であるというのを描き出している。
幸い、こちらの世界では妖魔が跋扈することも、天が試練を遣わすこともない。しかし、一人ひとりが自分のレベルなりに国を思い行動すること、そういった個々の思いを受け取れるリーダーがいること、この両輪が国の将来を左右するのかも、と考えさせられました。
以下、それぞれの短編に対する感想です。
「丕緒の鳥」では景国が描かれる。数代続く無能な王へのあきらめで熱意をなくした官が、荒廃する世界と対峙するやり方はそれぞれ違うと気づき、打ち落とされるのでなく新しく生まれる「希望」が見える飾りを作った。その真意を経験は浅いが率直な王が汲み取る瞬間。過去の作品で自分の中にある景子のキャラクターがバックアップし、新しく始まる国の光が見える。
それに対し「落照の獄」では柳国が描かれる。死刑制度の復活の過程とその間の官吏の苦悩を通して、「王が判断を放置する」ことによる諦観と今後に対する不安が最後に現れ、傾く国の末路を予感させる。「丕緒の鳥」との落差が明確。
「青条の蘭」も出だしは重い。死んでいく森、危機感を共有できない(大局的に状況を把握できない)人たち、辛い旅。読者に「この国はもう絶対だめだな」と思わせながら、最後の数ページで民が、自分では状況がわからなくても愚直に箱の中の希望を引き継いでいき、間接的にこの国は延であることがわかる。そこで「だったら助かる」と思わされる安心感にやられました。私はこれが一番好きです。
「風信」では景国を違った視点から視る。官がすべて国のことを大局的に考えているというのは幻想でしかない。しかし、自分たちにやれることをやるしかなく、それは大きな力にはならなくても推進力の一部にはなるというのがわかる。
小野さんが書きたかったものは少し理解できるような気がする。でも今度は本編が読みたいなぁ。
見られているってことを忘れてはいけない
先輩からランチを誘われました。私も知らないメンバーとのランチ。
そのお相手の業務と似た業務がうちの部署にもあるな~と思い、その担当である後輩の女の子を誘ってみました。
しかし返事がない。
前日になってようやく電話がかかってきたと思ったら「ランチに行って、なんか頼まれたら困るんですけど・・・」という反応。
えええ!?
仕事を押し付ける気持ちなどもちろんなく、顔つなぎをしておいた方がきっと彼女のためになると好意で誘ったのにそういう反応???
結局はその子も参加して楽しいランチになりましたが、私が次回その子を誘うかというと考えちゃうでしょう。その態度が、未来のチャンスをつぶしたわけです。
また別の日。他の部署のちょっと年上の先輩(部長クラス)とランチをしていたら、その部署の話になりました。
「A君は頼まれたことをすべて受けているから大変そう。B君は一見調子はいいけど『今僕手一杯なんです』と2,3回言っているのを見かけたんだよね。でもB君はあまり大変じゃないことも我々は知っている。上司って2、3度断られると見限っちゃうんだよ。当然評価につながるよね。」
ひー!その方はA君とB君どちらの直属の上司でもないんです。でも、見ていてクールに評価している。
私はランチに誘った後輩を評価しました。
そして、A君とB君は上司に評価されました。
短期間に「評価する」立場と「評価される」立場の両方を経験したから実感した、自分の行動が相手の心情に与える印象のその後への影響力。
「評価される」立場はこれからもずっと続くのだから、この気づきは大事にしていきたいと思います。
新人の頃は今から考えると相当傍若無人な振る舞いをしていました・・・ああ、過去に戻って改めたい。
おすすめ手帳はアクションプランナー
昨日は夫に子供たちをお願いして夜までお仕事。
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埋まっている時間が面積として目で見てでわかること。たとえば「13:00-15:00」とかかれていてもそれがどれくらいの予定を占めているか、一瞬では判断できません。それに、「13:00-15:00」の打ち合わせと「14:45-16:00」の打ち合わせ、文字だけではうっかりダブルブッキングしちゃうかも。しかし、アクションプランナーは埋まってる時間が目で見てわかるから使いやすいんです。 自分が何にどれくらいの時間を使っているかもよーく分かります。
- 書くスペースがたくさんあるところ。1日が上下に長くとられているから、朝早くや夜遅くのスペースは私は気づき事項をフリーに入れています。ちょっと未来の予定、例えば「確認依頼していた資料の締切」とか、「飲み会通知のタイミング」とか、書き込むと忘れません。少し日が空く場合はTo Doリストでの管理より効果的。
- 空いてる時間も目で見て分かる。大事な会議まであと一週間ある・・・と油断していたら、会議や出張が立て続けに入っていて、「資料作成後に上司に確認してもらう時間がない!」なんてことも。目で見て空き時間がないことがわかれば、早めに取り掛かることもできます。
あとおまけにもうひとつ。
一回決めてしまうと、毎年手帳選びに費やす時間や、「これ使いにくいよ・・・でももう手帳売ってないからあと半年我慢するか」なんてことがないのも実はポイントだったりします。
先日初めて仕事でお会いした素敵な女性がアクションプランナーを使っていてちょっと親近感。
さあ、来年に向けてまたいろいろと予定と目標を組み立てていくぞ。
年賀状はアナログだけど合理的な手段
先週末、年賀状を作っていてふと思いました。これはすごく大事なつながりの行事だなって。
学生の頃までは、年賀状の相手先は頻繁にあっている友人ばかり。なんとなく元日に数をもらうのが嬉しいだけの、形式的なものでした。
でも今は、学生時代の友達、親戚、引越し前のご近所さん、子供の友達家族、会社の人たち・・・お付き合いの範囲が増えて、数年間会う機会がない人もいます。
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「年賀状を出す」ために、一年前の年賀状を見直すことで、忘れていた一人ひとりの暮らしや家族に思いをはせる。
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「年賀状を書く」ために、次の一年でのその人とのつながり、「会いたいな」とか「夏ごろそっちに行くよ」とか「あなたも頑張ってるから私も仕事頑張る」とか、数分間はその人のことを考えながら気持ちをしたためる。
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「年賀状を受け取って」、その人の今を知り、またその人のことを思い浮かべる。
一人当たり最低3回はその人のことを考えるわけです。
これを毎年繰り返すというのは、つながりを保つために合理的かもしれない。
ほんの数年前ですら、メールの方がお金も時間もかからないと思っていました。
でもコピペや一斉送信ではこういう気持ちは得られません。
年賀状、アナログに見えて意外と合理的。
やっぱり笑顔が大事
子どもの経験値と親の余裕
「やばっ!牛乳がない!」
ジェネレーションギャップ 〜お店屋さんで売っているもの〜
保育園で定番の人気行事。
それはお店屋さんごっこ。
年長、年中さんのクラスがお店で売るものを作って売り手になり、
年小さんとそれより小さい子供たちが買い手になるというイベントです。
工作が楽しいのはもちろん
売り手は「いかに自分のものを買ってもらうか」、
買い手は「決められた金額で自分の欲しいものをいかに手に入れるか」
という工夫の余地があるのが
人気の理由ではないかと思います。
さて、今回次女が買ってきたものを聞くと、
「お花と〜飴と〜携帯電話!」
え!?
お花や飴は定番だけど携帯電話が横並びにくるんだ!!
見せてもらってまたびっくり。
スマホでした、、、
この子達が大きくなる頃に、世界はどう進化しているのか。数十年の隔たりの大きさを現実的に感じた出来事でした。