「八日目の蝉」の猛烈な違和感。母親の気持ちになったらたまったもんじゃない。視点によってとらえ方は異なる。
映画「八日目の蝉」を見ました。
不倫相手の赤ちゃんを誘拐し逃亡生活を送る希和子の話と、誘拐から無事戻った子供という立場から成長した薫(えりな)の話をいったりきたりしながら進む物語。
※以下、ネタバレ含みます。
このストーリーは「母性」がテーマであり、えりなは希和子と同じように不倫を行っており、結果として子供を身ごもったことに悩む。
そして希和子と過ごした土地に戻り、最後に「ほんとはここに戻ってきたかった」「もうこの子が好きだ」と語り、希和子の母性を思い出し、自分も母性があることを自覚するという話。
希和子の薫(えりな)に対する愛情は確かだし、希和子視点で物語が進むから、幸せな時間が続くようつい応援したくなるし、捕まらないでと言いたくなる。演じる永作博美も可憐でかわいいしね。
だがしかし!
実のお母さんの気持ちになったらたまったもんじゃないですよ。
- 夫が不倫していた。
- 我が子が少し目を離したすきにいなくなり、4年も生死もわからない状態が続く。
- 帰ってきた子供は誘拐犯との思い出を大事にしていて、うまく関係を築けない。
いや、普通に考えて同情すべき、応援すべき相手は実母でしょ。
自分がこの母親だったら、「あの時、ちょっと置いてでかけなきゃよかった」と何回後悔したかわかりません。
本作では少しヒステリーで不安定だったり、希和子を罵ったりしているように描かれていますが、それも状況を考えたら当然ではないかと思います。
それで希和子の「母性」がフィーチャーされるのがすごく納得がいかない。
人様の子どもを誘拐しておいて「子育ての喜びを味わわせてもらった」とは・・・その喜びを奪われた人がいるんですけど!
自分が子供を産んでいなかったら希和子視点で「えりなちゃんと希和子が再会できるといいな」と良い話のように感じて終わっていたと思います。経験しないと想像できない視点があるし、一つの事実も描かれ方で違った印象になる。
感情に引きずられそうになった時、他の視点から見たら全く違うとらえ方がありうることは認識しておく必要があります。